高校部(東進)
「正しい」とは何か
こんにちは!東進日野豊田校の岩本です。
今日は最近購入した本を紹介したいと思います。
『史上最強の哲学入門』です。
私には、あまり深く考えずに物事をそのままに受け取ってしまうという悪い癖があるのですが、哲学者にはその正反対で何事も疑ってかかるという人がいます。
「我思う、ゆえに我あり」で有名なデカルトです。
最近、彼に感銘を受けたので紹介したいと思います!
ルネ・デカルト(1596-1650 仏:哲学者、数学者)
「何が正しいのか」を見つけるために
すべてのものを「正しくないんじゃない?」と順番に疑っていき最後に残ったものを「正しいもの」とするという方法を彼はとりました。
例えば目の前に学校があるとして、それを「いや、実は夢を見ているだけで学校なんてここにはないのかもしれん」と考えるといった具合で、です。
つまりそうすると、わたしたちが何を見ようとそれが「正しいもの」とは限らなくなってしまうし、何も正しいと思えるものなんてないように思えてきますよね。
それでも彼は、いろいろなものを疑い続け、ついに「真理」にたどり着きます。
「我々が認識しているものは、すべて嘘かもしれない。そして、あらゆるものを疑うことができてしまう。
でも、この世の全てを疑えたとしても、それを疑っている私がいるということだけは疑えないのでは?」
つまり、たとえすべてが夢であっても、その夢を見て、「夢じゃないか」と疑っている自分が存在していること自体は決して疑うことができないということです。
疑いつくして、最後にのこった真理とは、まさに「疑っている自分」たとえすべてがウソであろうと、それがウソではないかと思っている以上、「私が存在すること」は絶対に疑えない真理ということです。
このひらめきから「我思う、ゆえに我あり」という言葉が生まれたんですね。
これを読んで私は、何が正しいかとか、何が間違っているとか、そういうことを自分で考えて生きなければ、自分で何も決められなくなってしまうし、自分の意志で生きているとは言えなくなってしまうなぁと感じました。
それと同時に、デカルトほどまではいかないまでも、何事にも懐疑心を持たなければ、それはできないなぁとも思いました。
(ただ、単純かつ影響を受けやすすぎて最近電車に乗っている人たちがみんな私の見ている夢の登場人物なんじゃないかと考えてしまいます・・・疑いすぎにも注意ですね)
この本では、デカルトはじめ、偉大な哲学者たちが「誰の考えが一番正しいか」をどうやって追い求めたかが書かれています。
気になった方は是非!
驚くほど長くなってしまいました。。。
早く読了できるようにがんばります。