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Diversity
6/29(土)多摩センター教室のブログ
こんにちは、みなさん。
先日 GODZILLA - the King of Monsters -を劇場で見てきて以来・・・
「チャン・ツィイーさんって、やっぱりキレイだなぁ・・・」としみじみしている、
多摩センター教室の佐々木です。
閑話休題。
今日のキーワードは「多様性(Diversity)」。
自分は「多様性」という言葉が大好きです。
世界は個性の集まりですから。
多様性の土台としての「一人ひとりの個性」を重んじていきたいですね(^^
ですから、本を、特に物語・小説を読んだときの
「一人ひとりの感じ方、受け取り方」
に違いや差が生まれるのは、当然だと思っています。
人間は、一人ひとり、性格も違えば、生きてきた環境や背景が違いますから。
(だから入試問題では、特に物語・小説文で、答えにブレが出るんですよね(苦笑))
だから、「この本(物語)は、こう解釈すべきだ!」と主張すること自体は、
‘多様性の中での「個性」の発信’ということで、誰もが持つ権利であり、100%OKなのですが…
しかし一方で、その自分の解釈を他人に押し付けようとする人がいたとしたら、それはまた違うと思うんですよね。
他人の「個性」を認めていないですから。
確かに、自分たちの解釈に関して他の人と議論するのは大いにOKだし、
むしろどんどん意見を交わすべきだと思います。
しかし議論もせずに、「自分の解釈しかダメ!」と‘相手の考え方’を頭ごなしに否定してしまう態度は、どうかと思うわけです。
以前、私の目の前で
「その小説を読んだことがあるんですが、そういうふうには解釈できなかったんですよね」
と相手に伝えた青年がいました。
その青年に対して、そう言われてしまった‘目上の人’が
「まだまだ甘い。何度も読み返しなさい」
と言っていて、それで会話が終わってしまったんですよね。
違和感しか残らない会話でした。
やはり、目上の人が、青年の個性を尊重せずに、
「自分の解釈のみを押しつけている」ように感じられてしまったからです。
当然、一人ひとりには個性がありますから、読み取り方には当然、
(良い意味でも悪い意味でも)「差」が生まれるはずです。
その「差」を感じ、認め、それをお互いに楽しみ、あわよくばその差をすりあわせようとするのが、人生の楽しみだと、自分は思います。
(多様性の時代ですから、もしササキの意見に違和感を持たれた方がいらしても、まったくOKですよ!)
人々は、違うからこそ、話していて楽しいのだ。
生徒さんには、一人ひとり個性があるから、接していて楽しいのだ。
違う考え方をすり合わせるからこそ、新しい発想が生まれ、世の中はおもしろくなるんだ。
私はそう思いながら、日々、生徒さんたちを指導させていただきつつ、楽しんで生きております!