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ことばのことばっかり④~物事には意味がある~
こんにちは、高幡教室の土井です。
前々回お話しした続きです。
実は漢字検定の上位級をもっていると、漢字に関するイベントや研修会に参加することができます。
今年の7月の研修会は長野県の松本で行われるということで、夏期講習前日でしたが、日帰りで行けなくはないだろうと強行突破してきました。(下の写真はついでに訪れた旧開智学校、イケメンな校舎ですね)
テーマは学校というものが作られ始めた明治時代に漢字教育がどのように行われたか、というものでしたが、そもそも学校とは?教育とは?という根本的なテーマをも含む内容だったので、非常に濃密な話を聞くことが出来ました。行ってよかった。
ここで印象に残ったことがいくつかあったのですが、今回は初歩的なテーマを紹介したいと思います。
●みなさんは「学校」や「教育」という言葉をよく使いますが、では、「学校」と「教育」、どちらが先にできた言葉だと思いますか?
いわゆる学校というものができる前、江戸時代には子ども達が「寺子屋」で勉強していたというのは小学校の歴史でも学ぶことです。明治時代に学制ができて、そこから全国に「学校」が作られ……と考えると、中身の教育よりも学校の方が遅く生まれたように感じます。
しかし、言葉としては「教育」よりも「学校」の方が早いとか。
たしかに室町あたりには、足利学校とかあったな……。そもそも寺子屋だって広い意味では学校だ。
「教育」という言葉を今のように、貴賤問わず学ぶという意味で使う流れは、文明開化のさなかの、西洋の言葉の漢語表現のひとつであるようです。Educationですね。
中身よりも先に器ができているの、すごく不思議で面白い。今の学校制度は本当に「つくられたもの」なんだなあとちょっとときめいてしまった。ちなみにもっと知ろうと調べると、簡単にことばの泥沼にはまります、たのしい。
さてさて、学校を英語で言うとスクールですが、こちらの語源にも触れておこうと思います。
ギリシャ語のスコレーという言葉からきているという説があるのですが、スコレーをざっくり訳すと「ヒマ」です。
「あ、なるほど、学校ってヒマって意味だから、ヒマな時間として適当に過ごせばいいや」なーんて考えはお門違いです。
ヒマを持つということは、奴隷の身分ではなく、日々の労働に追われることなく思索する時間を持てるという、当時の社会ではとても貴重なことだったのです。
今の日本は子どもが学校に行くの当たり前。「勉強やりたくねえよ~」とか言ってしまえる。でも実はこれってすごいことなのだ。奇跡といっても過言ではないし、ここに至るまでには先人たちの努力と悩みとがあったし、そしてこれから先もいろいろ悩みながら制度を整えていく、たぶんきっと。
世界のどこかでは、まだ子どもへの教育支援が十分でない国や地域があったりすること、
日本でもほんの少し時代をさかのぼると、子どもが勉強するのが当たり前ではなかったということ、
地域差や性差だけでなく、生まれそのものによって学ぶ環境に格差があったこと、
そういう歴史的なこと、地理的なことをふまえて改めて日常のものごとを見つめなおすと、また違った感覚で見えてきたりしません??
しない?
しないかー。