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目には見えませんよ②
こんにちは、高幡教室の土井です。
中学入試の最中、入試会場でたくさんの背中を送りましたが、この数日間で大きく成長する子達が多いのです。
人生にはいくつかの節目があるけど、入試も一つの節目なんだと思います。
酸いも甘いもあるのが人生、経験を糧にして、「いい大人」になってほしいです。
さて、前回の記事の続きです。
『あの行事』とは、日本人が一年間の平穏無事を願って行った行事のひとつなのです。
そもそも、悪いものは「昼と夜の境」とか「旧年と新年の境」とか、そういう「すきま」で発生すると考えられていました。
そういう「すきま」に、新しい年月がすこやかに暮らせるようにと行われたのが行事の名残が「節分」です。
今でこそ、鬼の面をつけたお父さんや保育士さんが張り切ったり、
年の数だけひたすら豆を食したり(子ども時代はうらやましかった大人の豆の数、全然うれしくない…)
方角に向かってもくもくと寿司をかじったり(食いちぎれずに全部出てくるかんぴょうが鬼門)
なかなか勢いのあるイベントとなっていますが。
今では子ども達がキャッキャしながら鬼に豆を投げますが、本来追い払っていた鬼は「目には見えない」んです。
平安神宮では2月3日に大儺の儀を行いますが、そこに「方相氏」という役が登場します。
これは平安神宮のHPとかを見ていただけるといいんですが、めちゃめちゃ素敵、一目惚れしちゃう。
(あと声も良いんですよねぇ~、全体の色味も素敵だし、黒い衣装もよく見ると美しいんですよ)
髪はぼさぼさだし、目が金色で四つもあるし、顔が怖可愛いのですが、この方は鬼ではありません。
持っている盾と戈を打ち鳴らして、悪いものを追い払ってくれるもの、なのです、カッコイイ!
どうやら
・目には見えない鬼を、目に見えるものが役として追い払っていた。
↓
・時代が進む中で、追い払っていた役が「鬼」とみなされ、追われるようになってしまった。
という変化があったようです。
使用済みティッシュペーパーが疎まれるのと同じような流れなんだろうか。
汚れる前は、あんなにも頼っていたくせに。
今でこそキャッキャ豆をぶつけている鬼さんも、歴史をさかのぼると悪いものではなかった。
一つの行事をとってみても、実は歴史の中でけっこうな移り変わりがあって面白いです、
これは日本行事に限らず、様々な国のイベントの今昔を調べてみても発見があって興味深い。
鰯の頭も信心から~と言いますが、行事を楽しみつつ、歴史に思いをはせるのも一興かと。
個人的には平安神宮の方相氏に会いたい気持ち100万%なのですが、職業・塾の先生では時期的になかなか難しいですね。
ウン十年後には会いに行きたいと思います、待つこともまた楽しみ方の一つ。
……なんか記事の内容が他の教室の先生達とかぶってしまって、後出し感がすごいですね。