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初心
3/11(水)の多摩センター教室のブログ
こんにちは、みなさん。多摩センター教室の佐々木です。
今日この日、3月11日が来ると、あの日のことを思い出します。
東日本大震災。 私のふるさとである東北は、大きな揺れと津波に見まわれました。
(私は青森県八戸生まれ。山形県酒田市や岩手県盛岡市、福島県福島市や宮城県仙台市と、上京してくるまでは父の転勤にお付き合いして、いろいろと東北周りをしましたね。)
当時の私は、高校部(東進)の南大沢校の責任者。 当時の南大沢は「震度5-」でしたが・・・
あまりに長く、そして異常に大きなP波(初期微動。縦波)に、
「やばい。これはかなり遠くで、かなり大きな地震が起きているぞ。やばい。ほんとにやばい。」
と感じ、生徒たちを人生で初めて、机の下に避難させたことを今でも思い出せます。
( P波とS波については、2019年9月24日のブログをご参照ください。)
そして、揺れが収まった後、PCで地震情報を確かめたら、宮城県付近が震度7・・・
その当時、私の父母が住んでいたのが仙台。 ぞっとしました・・・
結局、父母と連絡が取れたのは2日後。 両親は、仙台でも陸側に住んでいましたから、津波の影響は受けませんでしたが・・・
家の中は無茶苦茶だし、家がつぶれそうだからずっと車の中で過ごしていたし、食料は遠くまで歩いて行かないと買えないし・・・と、大変だったそうです。
(ただし、地震から2~3日後にはクロネコさんが動き始めていましたので、東京からいろいろとモノを送ることができました。 いまでもクロネコさんには感謝しています。)
その、父母と連絡が取れなかった2日間、いろいろと悩みました。
被災映像をテレビで見ながら、
「オレは、被災地に行かなくてはならないんじゃないか? 親をはじめ、現地の人を手助けしに行かなきゃならないんじゃないか?」
と自問自答しました。
「仕事なんて放りだして、行くべきじゃないか」 と思いました。
しかし、結局は東京に残りました。
なぜなら、こう考えたからです。
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確かに、現地に行って、直接手助けすることも大切だ。 しかし自分は、ありがたいことに、お子さんたちを育てる “教育の仕事” に就けている。
もしそんな自分が、しっかりお預かりしているお子さんたちと向き合って、(学力Upさせるのは当然のこととして)勉強を通じて 『努力の大切さ』 などを経験させてあげ、自信をつけさせてあげられれば・・・
そうすれば、“将来、社会で活躍するための土台” を作ってあげることができ、それこそ“将来、社会で活躍する人” になってくれるに違いない。
そしてその人たちの中から、直接東北の復興にかかわる人が出てくるかもしれない。
しかし、もし直接復興にかかわらなかったとしても、どんなことであれ社会で活躍してくれれば、日本が元気になることに貢献してくれているわけだから・・・ 間接的に、東北の復興へのアシストになるに違いない。
そうすれば、自分1人で被災地に行って手助けするよりも、時期は遅くなるものの、もっと大きな手助けを被災地のみなさんに届けられるかもしれない。
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そう思い、実家に帰ることはやめ、東京に残りました。
そして毎年3月11日前後になると、このことを思い出します。
そして、初心に帰ります。
また今日から、自分もしっかり働いていこうと思います。