コラム
水本代表、志學舎を語る④
志學舎誕生秘話
こんにちは、志學舎代表の水本です。今日も前回の続きから。
仲間たちが反旗を翻して独立、中河原の塾を手放すこととなって、「百草園学習塾」が残ったものの、人間不信にも陥っていた私は塾の解散を考えました。
しかし、たった一人、塾に残って私と一緒にやりたいという人間が現れました。それが宮﨑という同じ広島県出身の男でした。彼は塾の立ち上げのころからずっと手伝ってくれていたメンバーの一人で、同郷で同い年、東京大学に通う秀才でした。そんな彼から一緒に塾を続けたい、と言われて、「よし、2人でもう1度塾を再建しよう」と思い直したのです。
再建にあたって2人でよく話し合いました。そんな中で「やっぱり志(こころざし)が大切だよね」という話になり、彼が中国の古典『論語』から新たな塾名を考えてくれました。
以下、少し長くなりますが引用します。
『論語』 為政第二より
(原文)
子曰、吾十有五而志乎学、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲不踰矩。
(書下し文)
子曰く、吾十有五(われじゅうゆうご)にして学(がく)に志(こころざ)す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰えず(こえず) 。
(現代語訳)
先生(孔子)はおっしゃいました。「私は15歳のときに学問を志し始めた。30歳になったときに独り立ちをし、40歳になったときには惑わされることがなくなった。50歳のときに自分の天命を理解し、60歳のときにようやく人の意見に素直に耳を傾けられるようになった。そして70歳になって、自分の思うように行動をしても人の道をはずすことはなくなった。」
今の日本で15歳といえば高校受験をする中学3年生。その中学3年生が集う学び舎(まなびや)ということで「志學舎」。「学」の字をあえて旧字体の「學」にすることで、他にはない塾名にこだわりました。
こうして「百草園学習塾」は1981(昭和56)年、「志學舎」として新たなスタートを切ることになりました。彼がいなければ今の志學舎はありませんでした。とても感謝しています。大切なパートナーに巡り合えたのも、私が7月7日生まれという強運の持ち主だからだと信じています。百草園の地から羽ばたいた志學舎。
その後についてはまた次回に。
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