コラム
水本代表、志學舎を語る⑤
塾一本で生きる決意
こんにちは。志學舎代表の水本です。
1981(昭和56)年、塾名を「志學舎」に改めて、日野市の三沢中学校の近くの「三沢教室」から再出発。次第に生徒数が増えていく一方で、勤めていた高校も辞めて塾一本で生きる決意をしました。これで100%全力で思い切って塾に取り組めるようになったのです。
当時は近くの三沢中からだけでなく、少し離れた日野三中からも生徒が来ていました。
また、ちょうどそのころ、都立高校の入試制度が変わって、それまでの3教科入試から5教科入試になり、理科と社会が入試科目に加わり、塾でも5教科対応をしなくてはならなくなったこともあって、三沢教室だけでは手狭に。そこで、日野三中の近くに「程久保教室」を開くことにしました。今のモノレール程久保駅の近くです。
それでも入りきらずに「入塾テスト」を実施することにしました。大手の塾に負けないレベルの高い塾にしたいという思いもありました。中1などは半数近くが不合格となったことも。それでも何とか塾に入れてほしい、と再度テストを受ける、中には最高で3回受験して「気合い」で入塾した生徒さんもいました。
そして1983(昭和58)年には、塾をそれまでの個人経営の形態から、「有限会社志學舎」に法人化させて、本格的に塾経営に乗り出しました。三沢教室と程久保教室の2教室体制で、毎日、教室を開けて掃除、それが終わるとすぐにもう一方の教室に移動してまた掃除、そして夜には授業。それぞれの教室は狭いながらも生徒がいっぱいで活気にあふれ、充実した日々でした。
そんなある日、雨の降りしきる夜のこと。いつもの通り三沢教室で授業をしていると、突然、見知らぬ男性が訪ねてきました。「塾のことをいろいろ聞かせてくれませんか」と。
しかし、いくら尋ねても決して素性(すじょう)を明かしてくれません。はてさて、どうしたものか。
この続きはまた次回。
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