コラム
父との思い出(後編) 山の日に寄せて
こんにちは。志學舎本部の岩田です。
今日8月10日は「山の日」です。そこで山にちなんだ前回の話の続きから。
中学2年のときに父に連れられて初めて登った北アルプス。日本の標高第5位・槍ヶ岳(3,180m)を目指す通称・表銀座コース(2泊3日)の初日中盤までは、雷鳥の親子を目撃したり、山の絶景を眺めたりして楽しく歩いていました。
しかし、稜線に上がって後半になると、ちょっとした岩場やハシゴの箇所が出てきたりして緊張の連続。疲れもピークに。「あとどれくらい歩くの?」と聞くと、父は「あと少しだ」。でも、しばらく歩いても全く目的地に着く気配がない。「まだ着かないの?」と尋ねると、「あそこを曲がればもう山小屋だ。がんばれ。」しかし、角を曲がっても山小屋など見えない。その問答が何度も繰り返されて、最後は半べそをかきながら歩き続けました。否が応(いやがおう)でも、とにかく自分の力で歩き続けなければ山小屋には着かない。身をもって体験しました。夕方近くになってやっと山小屋に着いたときはホッとしました。
2日目は水俣乗越(みなまたのっこし)まで300mほど下ってから、槍ヶ岳山荘に向かって700m近く上り返すというこれまたハードな行程でしたが、天候にも恵まれ、父に励まされながら山小屋に無事到着。鎖場やハシゴなど危険個所を登って槍ヶ岳山頂を踏破。登り切ったという達成感と同時に、早くも下りの恐怖感が襲ってきたのを覚えています。
3日目の早朝。山小屋の布団で寝ていると、「おい、起きろ。雲海がきれいだぞ!」と興奮気味に私を起こす父。山小屋の外に出ると、一面に広がる雲海ごしに太陽が出てくる御来光の瞬間。見たこともない大自然の光景。大きな感動に包まれました。この感動体験がずっと記憶に残っていたからこそ、それから数十年たって「山でも始めるか」と、まるで思い出したかのように山登りをはじめることになったのだと思います。
3日目は槍ヶ岳から上高地まで、距離にして約20km、標高差1,500mほどを一気に下って父と二人きりの山旅は終了。3日間とも晴天続きで、「こんなにずっと晴れているなんて山ではなかなかないぞ。良かったなあ。」と道中何度も上機嫌に話しかけてくれた父の笑顔がいまだに脳裏に焼き付いています。父と本格的な登山をしたのは後にも先にもこれ一度きりとなってしまいました。
父は数年前に他界しました。「ああ、もっと一緒にいろんな山に登ってたくさん話したかったなあ」と思う今日この頃。そんな今の私の思いをズバリ言い表した松下幸之助さんの言葉があります。
親孝行したいときには親はなし――いまを生きる、これからを生きる ぼくが今日あるのは、決して自分の力や才覚のためではない、父の願いや思いというものが、ぼくの身体に伝わってきていたためではないか、という気がするのです。「親孝行したいときには親はなし」ということわざがあるように、親が亡くなって後に、折にふれその偉大な愛に胸を打たれ、せめて少しでも孝行をしておいたらと悔やまれる。それが世の常であるだけに、とくに若い皆さん方には親を大切にすることを心がけて欲しい。最近、とくにそのように思うのです。 (松下幸之助オフィシャルサイト「松下幸之助.com」より)
|
今年のお盆休み。新型コロナウィルス感染拡大防止のために故郷のお墓に行けない方も多いかと思いますが、ご先祖様を思いながら静かに手を合わせてみてはいかがでしょうか。私は家の近くにある父の墓参りに行きます。今年は、お線香やお花とともに、この原稿を書きながら思いついたこの句を捧げたいと思っています。
ありがとう 今なら素直に言えるのに
山の日に思う 亡き父の笑顔