コラム
水本代表、志學舎を語る⑨
南平教室
こんにちは。志學舎代表の水本です。
前回は高幡教室の開校について述べました。やや話が前後しますが、今日は南平(みなみだいら)教室について。
三沢教室と程久保教室の2教室でやっていたころ、やや離れた七生(ななお)中学校からも生徒が来ていました。七生中学校は日野市で2番目に古い伝統ある中学校で、生徒数も多くいました。そこで最寄り駅の京王線・南平駅から川崎街道沿いに少し八王子方向に行ったところの民家を借りて急遽「南平教室」を作りました。
街道沿いに面した教室でもあったので、写真にあるように大きく「志學舎」の看板を掲げました。当時は入塾テストで選抜していたこともあって「俊英の集う地域の名門」を標榜して少人数制で授業を行っていました。
しかし、何せ、もともとは普通の民家。トイレも1つしかなく、かつ和式の汲み取り式。臭いもきつく、とくに女子生徒たちは嫌がって塾にいる間ずっとトイレを我慢している様子。これではかわいそうだなあ、と思っていると、南平駅の近くに店舗用の貸物件が出たという情報が。すぐに不動産屋にいって見に行きました。たしかに駅前の建物の1階でいい物件でしたが、駅前通りに面した方の店舗は賃料が高い。そこで、通りとは反対側に面したスペースを借りることにして、その代わりに、一番の懸案であったトイレは、教室の外に水洗トイレを別途作って対応しました。
とはいえ、当時、正社員は私一人。高幡に本校を開校したころは朝から夕方まで高幡本校で仕事をし、夕方になって急いで南平教室に駆けつけてシャッターを開ける毎日。当然、南平教室に夕方前に電話がかかってきても出られない。昼間はシャッターが閉まったままだったこともあって、ある保護者からは「南平教室はもうやっていないのですか?」と言われる始末。とりあえず、電話は高幡本校に転送して昼間でも取れるようにしましたが、他方で、高幡本校の生徒数がどんどん増えていって、私も高幡にいることが多くなっていきました。とても私一人で管理するのが難しい状況でした。
「これでは、来年、南平教室は閉めるしかないかな」と半ば諦めかけていた夏のある日、見知らぬ男性が私を訪ねてきました。
この続きはまた次回。
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