コラム
水本代表、志學舎を語る⑩
南平教室(続編)
こんにちは。志學舎代表の水本です。前回の続きから。
高幡郵便局の2階と3階に開いた高幡本校の生徒数が増えて忙しくなり、南平教室の管理が難しくなってきたある夏の日、本校2階事務室にある男性が訪ねてきました。
「すみません。こちらの塾では社員募集されていませんか」と男性。当時は正社員募集などしていませんでしたが、話を聞くと、近くにある老舗塾に最近まで勤めていたものの、勤務がハードすぎて体を壊し退職。次の就職先となる塾を探していたところ、たまたま立ち寄った郵便局の上にあった志學舎を見つけて訪ねてくれたという。「それなら、とりあえず履歴書を送っておいてもらえますか」と答えてその時は終わりました。
それから数週間後、その人から電話が。「履歴書を送ったのですがどうなってますでしょうか?」 そのことをすっかり忘れていた私は多少の後ろめたさも手伝って「では、今度面接に来ていただけますか」と会うことに。その後、ちょうど夏期合宿があったので、いっしょに引率者として合宿に来てもらいました。すると、たちまち生徒たちにも人気となり、スタッフとしてもテキパキと仕事をしてくれる姿に、合宿を手伝ってくれていた昔の教員仲間から「あの人は塾の先生としてとても良いから絶対採用すべきだよ」と言われました。あらかじめ正社員の採用を計画していたわけではなく、具体的な配属先も決まっていたわけではありませんでしたが、それならばと採用することにしました。
本人からは英語を教えたいと言われていたのですが、ちょうどその時、時間講師として長年数学を教えていた先生が退職されたので、その先生の後任として数学を担当してもらいました。
しばらくしてから、彼が「私は将来自分で塾をやりたいので、ここで働いて塾のやり方を学びたい」と最初の面接で言っていたのを思い出しました。そこで、「南平教室というのがあって、来年はもう閉鎖することも考えているのだけれど、そこの教室長として思う存分やってみませんか」と水を向けると、「わかりました」と快諾してくれました。
すると数か月後。なんと、閉鎖を検討していたほど不振だった南平教室の生徒数がじわじわ増え始めたではありませんか。そしてついには生徒数が100名を超える教室にまで成長し、閉鎖の話は立ち消えとなりました。
それが今の積(せき)塾長です。
当時の志學舎の広告。高幡本校と南平教室が裏面の一番下に掲載されています。
当時の積先生の写真
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