コラム
水本代表、志學舎を語る⑪
思いを形に①
こんにちは。志學舎代表の水本です。
1985(昭和60)年に旧高幡郵便局の上に高幡教室を開校したのが、ちょうど第2次ベビーブームの子供たちが中学生となり、のちにバブル経済と呼ばれる好景気が始まるころ。現在本部に勤務している岩田君たちが生徒として通っていたころで、生徒数も順調に伸びていきました。
近隣のマンモス校だった三沢中の生徒会長と副会長が志學舎に同時在籍していたときには、中3だけで、特進、A、B、C、D、Eと6クラスありました。とても教室が足りないので、通りの向かい側のマンションの2階に高幡第2教室も開設。そこには普通の教室だけでなく理科実験室まで作るほど入れ込んで作りました。
<実験室を備えた当時の高幡第2教室で理科実験を行っている様子>
もう一つ、これだけ生徒数やクラス数が増えていったころ、改めて塾の原点を考えると、生徒一人ひとりに向き合って、優秀な生徒はさらに高い目標に向かってどんどん先に進む、勉強が苦手な生徒にはつまずいているところに戻って徹底的に面倒を見る、というような「個」に寄り添う「個別指導」こそがこれからの塾には必要だ、という思いが募ってきました。
そこで、前回の積先生(現塾長)のブログにもあった通り「CAI個別指導研究所」を開設して、コンピュータ支援システム(勉卓システム)を用いた個別指導にも挑戦しました。当時は今のようなパソコンは無くワープロがやっと普及し始めたころでしたが、生徒1人に1台のコンピュータを配置した先端的な取り組みということで大学の研究室やNHKが取材に来たこともありました。
<CAI個別指導研究所。生徒1人にコンピュータ1台という当時最先端の学習システムでした。>
こうして私はその時その時で「実現させたい思い」を、たとえヒト・モノ・カネが足りなかったとしても、多くの人たちの協力を得ながら何とか「形」にしていくことができました。それもこれも人との出会いに恵まれたからこそ。本当に感謝しています。
そんな中、今度は積先生から「かなえたい思い」を打ち明けられました。「それはいいね」と意気投合。お金も何もあったわけではありませんが、次はその実現に向けて奔走することになります。この続きはまた次回。