コラム
水本代表、志學舎を語る⑬
同じ建物にライバル塾が出店?!
こんにちは。志學舎代表の水本です。
1980年代後半、第2次ベビーブームの子供たちが塾に通う年齢となり、塾にはたくさんの生徒さんが通ってくれました。そのころ志學舎は高幡本校と南平教室の2教室体制でした。
ある日のこと。南平教室の不動産屋さんから連絡が。「あの~。実はいま、志學舎さんが入っている物件の2階を貸してほしい、という別の学習塾さんから問い合わせがきているんですけど、やっぱり同業他社さんが同じ建物に入るというのはダメですよね。」と。聞けばその他塾とは、日野と豊田に教室を持つ秀峰塾という、志學舎と同じく古くから地域で有名な地元塾。
たしかに普通なら「同業他社はお断り」というのが常識かもしれませんが、私はこう答えました。「うちだけで塾を開いているより、他塾さんも来てもらったほうが生徒さんの出入りも多くなって、あそこに塾がある、と地元の人への認知度も上がるからいいですよ。歓迎です。」と返事をしました。
するとしばらくして秀峰塾の塾長だった芥川先生がわざわざ「ありがとうございます。」とあいさつに来られたので、「お互いがんばって地元を盛り上げましょう。」と答えたのを覚えています。こうして、南平は1階が志學舎、2階が秀峰塾と、2つのライバル塾が同じ建物で営業することに。
よくよく話を聞くと、当時、秀峰塾の日野教室の両隣に大手塾が相次いで進出してきて、「このままでは大手に潰されてしまう。何とかしないと。」との思いから、同じ日野市内の南平への出店を考えたものの、物件が志學舎の2階しか無かった。不動産屋に聞いても「すでに志學舎さんが入っているからどうかな(難しいのでは)」と言われたものの、志學舎がOKを出したので出店できたことにとても感謝してくれたとのこと。以来、同じ日野市で活動するライバル塾ではありましたが、芥川先生とはよく話しました。
当時は大手塾から業界初の株式店頭公開をするところも出てきて、私たち町塾のエリアにも次々と出店しはじめた時期。しかも形態は同じ集団指導塾。このままでは大手に潰されてしまうかもしれない、という思いは共感できる部分もありました。
数年間、同じ建物の1階と2階でそれぞれ活動していましたが、ある日、芥川先生から「ちょっとお話があるのですが」と私に連絡がありました。この続きはまた次回。