コラム
水本代表、志學舎を語る⑭
同業他社、歓迎します!
こんにちは。志學舎代表の水本です。
前回の続きから。
南平駅前で1階が志學舎、2階がライバルの秀峰塾でそれぞれ営業していたある日、秀峰塾の芥川塾長から「お話したいことがある」と連絡があって会うことにしました。
するとそこで芥川先生から「実は自分は学校の先生になろうと思っていて、塾をやめようと思う」と打ち明けられました。大手塾の進出などもあって不安が大きくなったのでしょう。一方、私はまったく逆に、学校の教員を辞めて塾を始めた身。学校の教員はとても勧められなかったので「秀峰塾にはこれだけたくさんの生徒さんもいて、合格実績だってうちより良いくらいだからもったいない。もう一度考え直したらどうか」と率直に意見しました。「そうですね」とその時は芥川先生は塾を続けることに。
しかし、半年後、再び芥川先生から連絡が。「やっぱり塾をやめたいと思う。ついては、うちの従業員と生徒を志學舎で引き取ってもらえませんか」と。「塾は他にもいろいろあるのに、なぜうちに言ってくれたのですか」と尋ねると、「実は、他の老舗塾に打診しようかな、とも考えたのですが、やっぱり、あの時、南平への出店でたいへんお世話になったので、ぜひ志學舎さんにお願いしたいと思ったのです」ということでした。
私も少し考えました。秀峰塾の日野教室と豊田教室の社員、生徒ともに引き受けるとなると、志學舎は一挙に倍の規模になる。はたして上手くやっていけるのか。しかし、芥川先生たっての希望ということもあり、引き受けることにしました。
塾名をどうするか。本来なら志學舎が秀峰塾を買収するので「志學舎」としても良かったのですが、日野や豊田の地域では「秀峰塾」の名で古くから知られている塾。それをいきなり「志學舎」に改名したのでは、生徒さんや保護者さんに無用な混乱をもたらすことにもなりかねない。そこで、志學舎が秀峰塾を吸収合併し「志學舎秀峰塾」にする、という形にしました。
こうして、1989(平成元)年、「志學舎秀峰塾」として、高幡、南平、日野、豊田の4教室体制で新たなスタートを切ることになりました。これで、日野市内の主要な4拠点に教室を構えることになり、日野市内の四隅を抑えたことで、広告活動もより効率的かつ効果的に行える、と塾の発展に意を強くしたものです。
それにしても、南平で秀峰塾が志學舎の上の階に出店したいと言われたときに、「同業他社はお断り」ではなく「うちだけで塾を開いているより、他塾さんも来てもらったほうが生徒さんの出入りも多くなって、あそこに塾がある、と地元の人への認知度も上がるからいいですよ。歓迎です。」と返事したことが、まさか、こんな結末につながるとは思ってもみないことでした。
志學舎秀峰塾の船出についての続きはまた次回。