コラム
水本代表、志學舎を語る⑮
志學舎秀峰塾の船出
こんにちは。志學舎代表の水本です。前回の続きから。
1989(平成元)年に秀峰塾を買収し、もともと志學舎であった高幡教室と南平教室、そしてもともと秀峰塾であった日野教室と豊田教室が「志學舎秀峰塾」として新たなスタートを切りました。
いっしょになった初年度は、日野教室と豊田教室の教室長は秀峰塾にいた先生にお願いし、混乱なくスタートさせることに注力しました。それでも、やり方や文化の違う2つの塾が1つになったので多少の混乱も生じました。
夏期合宿もその一つ。志學舎では毎年夏の恒例行事として志賀高原で実施していましたが、秀峰塾ではやっていなかった。それをこれからは合同実施。また、一挙に生徒数が増えたので、これまで志學舎が使っていた所では収容できない。そこで、場所の選定から始めなくてはなりませんでした。
いろいろ検討した結果、新潟県の入広瀬村(現:魚沼市)で夏期合宿をすることにしました。宿舎の人たちも良くしてくれて、また、雪深い土地というイメージから涼しい環境でできるだろう、と思ったのです。しかし、いざ実施してみると、秀峰塾にいた先生方にとっては合宿自体が初めてで、志學舎にいた先生方にとっても初めての場所、いろいろと想定外のことがありました。何より誤算だったのは、とても蒸し暑かったこと。それでも先生方が一生懸命に生徒指導をしてくれて乗り切りました。
普段の教室運営でも違いが。たとえば、志學舎では毎日の授業終了後に先生自らが全教室の掃除を行っていましたが、秀峰塾では、掃除はそのために別のパート職員を雇ってやっていたため、先生方自身が掃除することはありませんでした。いっしょになってからは、志學舎のやり方で授業後に先生が掃除するように統一しようとしましたが、秀峰塾の先生たちは猛反発。自分たちは生徒たちに教えるのが本業なのであって掃除などやりたくない、と。
そこで私は意図を話しました。授業後に先生が自ら教室の掃除をすると、教室の汚れ具合などから先生の統率具合や生徒たちの様子が分かる。授業の統率がしっかり取れていて生徒たちが集中して授業を受けているならゴミも少ないし落書きなども見られない。しかしそうでない場合は、先生が生徒の様子を把握できていないことが考えられ、改善の余地ありと気づくことができる。
そうした日々のちょっとした生徒たちの様子の変化を敏感に感じ取るためにも先生が掃除することにこそ意味がある。と。以後、先生方が自ら掃除するやり方に統一しました。
このように志學舎のやり方をその都度その都度説明し、試行錯誤を繰り返しながら何とか1年目が終わろうとしていたある日、思いもよらない事態が。
この続きはまた次回。