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橋を渡す
こんにちは、志學舎豊田教室の土井です。
先月末の休みの日に、隅田川方面に遊びに行ってきました。
江戸の街並み形成を勉強するなかで、キーワードは「明暦の大火」だということなので、せっかくだしあちこち歩きつつ、大火ゆかりの地もいくつか回ってきました。
東京の都心っておしゃれビルが立ち並ぶイメージがあるのですが…。
ところどころに江戸情緒というか、歴史を感じさせるような施設が散らばっている。
道をひとつ曲がる度に景観がコロコロ変わってなんとも奇妙な感じがします。
なんなんでしょうかね、知れば知るほどよくわからんぞ東京。
ついで寄りをした、深川江戸資料館。
十三夜の近くだったので、お月見の展示がされていましたが…
月見だんご、大きすぎやしないか。
野球のボール並のサイズだったのですが、これをそのまんまかじって食べたのか…?
江戸時代末期の、深川近辺の漁師町が再現されているぞい。
井戸端もあれば、水茶屋から火の見やぐらが見えたり……。
やっぱりコロナの影響で体感できる展示は大幅に制限されていましたが、ボランティア解説の方が丁寧に色々とお話をしてくれます。
設定が細かいので、話を聞きながら回ると面白い。
資料館を出てから、浅草橋近辺まで歩きました。
とにかく縦横に河川やお堀があるせいで、橋がなければ行き来ができない。水っぽい地形。
明暦の大火の際には、浅草橋が閉ざされて、逃げ道を失った多くの人が焼け死んでしまった。
火の熱さに耐えられずにお堀に飛び込んだ人も、かなりの死傷者が出たようで、その反省から両国橋が架けられるようになったという時代背景もあるようです。
橋って大事なんだなぁと歴史を学んでいるとしみじみ思います。
このあたりの話は黒木喬先生の本『明暦の大火』(1977)、『江戸の大火』(1999)が読みやすい。
両国橋を渡ってすぐの、神田川、柳橋のあたり。(2枚の写真を合体しています)
実はこの辺りは花街があったので、なんとなく枝垂れ柳が残っていたりと、妙な雰囲気の空間になっています。
対岸にある建物もその名残のようです…佃煮が売っていました。
江戸時代末期の隅田川近辺は、「パリにおけるセーヌ川に匹敵する、都市風俗の中心のひとつ」だとも評価されています。(中村真一郎『江戸漢詩』、1998年、岩波書店)
超過密都市ですから、様々なモノや人が凝縮されていたようで、都市風俗を主題にしている漢詩も結構たくさん残っています。
漢詩っていうと頭の固そうな学者や役人の、お高くとまったものというイメージがありますが、そんなことはなかった。
江戸末期の松崎慊堂(まつざきこうどう)が佐藤一斎と両国橋近辺をぶらぶら遊んだ時の漢詩。
二国橋は両国橋のこと、武蔵の国と下総の国を結んだことからこの名前になった。
隅田川の両国橋近くで、ほろ酔いの甘い眠りからふと目覚めると、三味線や歌が聞こえる。
両国橋の辺りは広く波が打ち寄せ、納涼の船はまるで秋の木の葉のように、吹き寄せる風に揺れている
やっべえ…めちゃめちゃ素敵な詩だぜ……。
日本人は短歌なり俳句なりと、短い文で情景もろもろを表す文学がさかんだったので、江戸時代の漢詩でも短い絶句型のものが多いようです。
感情や情景が凝縮されていてすごい。
ちなみにこの日は、深川資料館から両国に向かって北上し、明暦の大火の死者の供養から始まった回向院に手を合わせに寄ってから浅草橋方面へ。
最後は浅草橋駅の近くでアツアツのたい焼きを食べました。写真撮り忘れた!!
あんこ激アツでおいしかったです。
歩き疲れた後のたい焼き…控えめに言って最高ですね!
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