コラム
水本代表、志學舎を語る㉑
帰ろうと思った説明会が大きな転機に
こんにちは。志學舎代表の水本です。前回の続きから。
社会情勢が大きく変化した90年代。「毎年一つ何か新しいことを取り入れる」と決めたものの、これというものが見つからなかったときに、「東進衛星予備校」のフランチャイズ事業の説明会というのが初めて東京で開かれるのでぜひ来てください、という話が。
それまでも小中学部の卒塾生が高校生になると、「大学受験の勉強はどうすればいいのか」「どこの予備校に行ったらいいのか」など、塾に来て相談されることがしばしばありました。そこで、何とか高校生を指導できないかと考え、一時期、南平教室に「高校部」を立ち上げて英語や数学の授業をしたり、レーザーディスク(LD)を使った指導も行ったことがありました。しかし、たくさんの科目や多岐にわたる大学の受験指導を自前でやることは、町塾にとっては難しく、うまくいきませんでした。卒塾生にアドバスを求められても確たる答えをすることができないままでいました。
そうした中での東進衛星予備校の説明会。とりあえず情報だけは取りに行こう、と積先生と一緒に参加しました。しかし、当日会場に行くと、出席者は私たちを含めてほんの数名。すぐに帰ろうかと多少の不安を覚えながらも、一通り説明だけ受けて帰ってきました。
当時は何といっても「3大予備校」(駿台、河合、代ゼミ)全盛の時代。東進の名前は今ほど知られていませんでした。さらに衛星放送で配信される授業をVHSビデオに録画して生徒に渡して受講させる、というやり方も、当時の常識からするとピンときませんでした。何せその頃は、東進の本部校でさえも他の予備校と同じく講師によるライブ授業を行っていたくらいですから。
しかし、その後の東進担当者からの熱心な誘いもあり、最後は「ではとりあえず積先生のいる日野教室で始めてみようか」と考えて1998(平成10)年、東進衛星予備校日野校を立ち上げました。東京での東進衛星予備校としては最初の頃だったと思います。当初は経営的理由というよりも「志學舎の小中学部の卒業生に、大学受験の面倒も見てあげたい」という思いが強くありました。
「開校当時の日野校。現在は無くなった東進衛星予備校のロゴマークがある」
積先生と試行錯誤しながら進めていましたが、最初から大きな自信があったわけではありませんでした。「これなら行ける」と確信を持ったのは、正直なところ、私の娘たちが実際に受講して、部活動など学校生活と両立させながら大学受験で結果が出た時でした。
それ以後、東進専任の「校長」を置いたり、2000(平成12)年には高幡不動校と南大沢校をそれぞれの志學舎小中学部に併設する形で開校して本格始動。すると東大や早稲田・慶應といった難関大学に毎年合格者を輩出できるようになりました。そして東進も全国で大きな成果を収め、今やかつての3大予備校を凌駕する圧倒的な存在となりました。
その昔、「大学受験をどうしたらいいか」と訪ねて来た卒塾生にしっかりと答えられなかったのが、これで「高校生になっても志學舎(東進)で続けて勉強すれば大学に合格できる」と自信をもって言えるようになったのです。以来、「小中高一貫指導という私の願いを全教室でやろう」と考えて、その後も各教室に東進衛星予備校を順次開講していき、現在では8教場全てで実現することができました。
最初に積先生と行って人数の少なさに帰ろうかとすら思った東進の説明会。その後「とりあえず日野教室で始めてみようか」と開校した頃には想像もできないほど、東進は志學舎にとって今では大きな柱の一つとなったのです。
かつては、中学受験ならA塾、高校受験ならB塾、大学受験なら都心のC予備校、というのが一般的であったと思いますが、これからは「中学受験も高校受験も大学受験も志學舎で」と、より多くの方々に選んでいただけるような塾として地域に根差してさらに発展していきたいと願っています。
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