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夢の話④
こんにちは!志學舎多摩センター教室 の 藤堂 です。
前回は、「夢に現れる自分の姿が映らない」という話をしました。
これが なぜ不思議か というと・・・ 実は分かりません(^_^;
分かりませんが、不思議な感覚がするのです。
確信めいた世界だからこその違和感、とでも言いましょうか。
そこにある世界も、そこにある自分も、絶対に崩れないルールの中で動いているのです。
その世界のルールは “空中にキノコがたくさん生えている” だったりするし、
その世界の自分のルールは、“そのキノコに恐怖する” だったりします。
そしてそのルールは、その夢の中では決して崩れません。
私が着目したいのは、
世界と自分という崩れないルールの中で、世界と自分というものが二分化されているのは何故なのか?
ということなのです。
多分、多分ですよ。
深層心理の恐怖に着目しますが、その場合夢というものは”恐怖”というものを感知させる目的で現れている感じがするのです。
つまり・・・
自分自身が真のその正体に気づけていない“抽象的な恐怖”というものを、その人の中で最も等身大の恐怖をそのまま映し出す。
簡単に言うと、深層心理というものは、きっと整理されていない感情なのです。
その感情が発露されるのが夢なのではないか、という推測です。
そのとき、夢という世界観の中に果たして自分は必要なのか?と。
それは勇者でも良いし、お姫様でも良いし、トカゲでも良い。それが自分だと結局のところ思うのだから。
しかし頑なに、自分なのだ。
でもそれが“トカゲでないと証明されたことはない”ような気もするのだ。
自分の姿は映し出されないからだ。
また、世界だけではダメなのか?
“その世界を観ている私”では何故ダメなのか。 それはきっと関係性の問題なのだ。
人は関係者意識を持たない世界に対して、恐怖することが出来ないのだきっと。
そんなような気がしました。
さて、今日も一日がんばりましょう!
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志學舎 多摩センター教室 教室長 佐々木俊介
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