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なんちゃって三十六景その4
こんにちは、志學舎豊田教室の土井です。
思いつきで葛飾北斎の富嶽三十六景を紹介するシリーズです。
今回は「東海道金谷ノ不二(とうかいどう かなやの ふじ)」ですが…
ちょっと困ったことが起こりました。
人間が100人前後います。
えーと…日本野鳥の会よろしく数えると、多分121名かな。
人影や輿に隠れてしまっているので、本当はあと数十名多いと思う。
お祭りか何かですか?というくらい川の中にふんどしおじさんが大量にいて、荷物や輿を運んでいるのです。
お客さんをおんぶしているおじさんもいます。
細かくてホワイトボードマーカーだとせっかくの人足がつぶれてしまうのと、塾のブログでふんどしおじさんを大量に描いていいものか…?という変な忖度で大幅に人員削減を行いました。
コストカットや…北斎先生…すみません…。
一番有名な海の波ザバーンの作品とはまた違った技法で水が描かれています。
深い青で刷りつぶされているところ、線で波を表現したところ、点で波しぶきを表したところ、それぞれの表現が面白い。
形状が不確定である液体としての水をあますところなく表現しているなぁと感じます。
ちなみにお山の真ん中だけピンク色なのですが、桜なんでしょうかね。
そこだけ「万緑叢中紅一点」という感じで目を引きます。
もしこれが桜であれば、大井川が「雪解け水」の影響で増水しているということになるのかな。
江戸時代は大井川に橋をかけちゃダメ、ということで川を渡るのが大変だった。
東西日本を往来するには越えなければいけない難所なので、路銀をはたいて川越人足を雇っていたようです。
なんで橋を作っちゃダメなの?というのは、いくつか説があるようですが…
・江戸の防衛もしくは家康が住んでいた駿府城の防衛のため
・水量が多い暴れ川であり、橋が流される恐れが強かったため
・川渡しを生業とする地元民の利益を守るため
どうも二つ目の説が強そうですね。
昔は架橋してもしょっちゅう橋が流されるのが当たり前だったので、近代に入って鉄橋などの建築技術が入るまでは、「渡し」が重要な存在でした。
多摩川にも渡しがあったと記憶しています。
船禁止に関しては、地元民の利益と軍事的な意味合いがありそうですが、簡単に答えを出せるような問題ではなさそうです、非常に奥深い。
島田市の観光協会HPが色々わかりやすいぞ。
<島田市観光協会 http://shimada-ta.jp/index.php >
それにしても橋っていいですよね。
違うものと違うものをつなぐ働きをするって素敵なことじゃないかと思うわけです。
志學舎豊田教室では、豊田エリアに貢献できる塾として生徒一人ひとりに向き合い、生徒の自学自習の力を伸ばしていきます。資料請求・説明会・体験授業のお問い合わせ・お申し込みは、メール・電話・HPからお願いいたします。
[開設コース:中学受験部(小学部)/高校受験部(中学部)/進学個別アイウィル] 志學舎 豊田教室 教室長 西尾宣昭
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