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リアリティー
こんにちは、志學舎多摩センター教室の藤堂です。
みなさんは“リアリティー”ってなんだと思いますか?
日本語にすると“現実的”とかだと思うのですが、今回は「リアリティーある映画」とかに用いられるリアリティーという言葉に疑問を呈していきたいと思います。
まず、
「リアリティーある」
と言っても、実はこの言葉は“定義”が難しいです。
たとえば、
“こういうことは現実世界でもよく起こる”
という意味でリアリティーという言葉を使う場合、描写の取捨選択において「切り取らなかったリアリティー」があるはずなのです。
リアリティーという言葉を聞いたときに、「現実に対する“誠実性”みたいな好情報が付加されるのだ」とすれば・・・ ありのままの切り取らなかった部分に対してはどう評価するのでしょう?
リアリティーの対義語を“ファンタジー”とした時、「敢えて切り取らない」という選択は、如何にもファンタジーの魅せ方ではないでしょうか?
なので、それを踏まえている人は、リアリティーという言葉を、「現実世界でよく起こる”こと”ではなく、現実世界でよく起こる”雰囲気”に対して使っている」と思われます。
人間の脳は、起こった出来事を事実的にインプットするのではなく、感情的にインプットしています。多分。
なので、何でもなかったことよりも、喜怒哀楽の“振れ幅”が大きかったことの方を覚えているのです。
この感情の“揺れ動き”に重ねるようにして、ある種のリアリティーを感じるのではないでしょうか?
与えられた状況から「不自然な動き(≒自分がし得ない行動)」を登場人物がしたと感じれば、その作品はリアリティーのない作品と評価することになるでしょう。
ではこの場合はどうでしょう?
【 世界観は現実離れしていて、登場人物も、自分が今まで会ったことも見たこともないようなよく分からない人ばかり 】
というケース。
いわゆるファンタジーでしょうか?
この場合、経験則から想起される人間像というものは当て嵌まらなくなります。
当て嵌まりにくくなる、という表現が正しいでしょうか?
なぜなら、少なくとも人格を形成する要素である“環境的要因”の部分は大きく異なるからです。
たとえば、異国に行って日本人の感覚を押し付けるのは、あまり良くないことだと思いませんか?
その感覚と同じで「世界観と人間性が異なる」ということは、
【自然な動きとは何たるか、の判断が難しい】
ということなのです。
つまり、その世界観の人間が何をしようと
「リアリティーがないなぁ」
と思わない(べき)ということなんです。
つまり、我々はその世界のリアリティーを否定出来ない( ゚Д゚)
するとなんとなく不思議な感じがしてきました。
ファンタジーだったはずのものにリアリティーという属性が付与されました。
これは簡単な話で、リアリティーというのは「視点が自分よがりなもの」なのです。
宇宙人から見たリアリティーは、宇宙人の生活でしょう。
地球人から見たリアリティーは、地球人の生活です。
しかし、リアリティーという言葉を自分よがりに使わないのであれば
“その世界観で形成されるべきものが、然るべき動きをしている”
とかになると思うんですよね。
さて、今日も一日がんばりましょう!
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