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関東と関西の「関」って何?
こんにちは。
志學舎みなみ野教室の教室長の阿部成明です。
さて、定番の生徒の疑問シリーズ!
発端は昨日のことでした。
「関東と関西の関って何?」と某生徒さん
「関東」の起源は7世紀ごろにさかのぼります。
当時の日本は朝廷のある畿内(山城・摂津・河内・和泉・大和の5カ国)以外の各国が7つの道に区分され、それぞれに関所が置かれていました。
その中でも「三関」と呼ばれる、「東海道の鈴鹿関(三重県)」「東山道の不破(ふわ)関(岐阜県)」「北陸道の愛発(あらち)関(福井県)」は畿内の守りを固める上で重要な役割を担っていました。
この頃から、これらの関所の東側にある地域という意味で「関東」という言葉が使われ始めました。
現在の関東と比べるとかなり広い範囲ですね。
しかし、この頃は「関西」という言葉はありませんでした。なぜなら朝廷にとっては都の置かれている奈良や飛鳥が日本の中心であり、日本のどちら側というのは関係なかったからです。
さて、それではいつから「関西」という言葉が使われるようになったのでしょう?
時代としては平安時代の中期からになります。愛発関が廃止され、代わりに逢坂(おうさか)関(現在の滋賀県大津市)が置かれると、そこから西側を「関西」と称するようになりました。
しかし、依然として畿内が中心という意識が根強かったため、関東と区別する意味合い程度でした。
鎌倉時代になると、幕府の直轄領である関東御領や将軍家の支配地を指す関東御分国というように、「関東」という言葉が定着し始めました。
東の幕府と対立する形で、天皇家が拠点とする地域を「関西」と呼ぶようになったのも鎌倉時代からとなります。
江戸時代になると、関東一円の8カ国を指す「関八州」という言葉が定着し、ここで初めて現在の「関東」が意識されるようになります。
「関西」に関してはいまだに明確な定義はないようです。
確かに関東は関東地方と言われますが、関西は関西地方ではなく近畿地方と言われていますね。
いつか関西も明確に定義されるのでしょうか?
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[開設コース:進学個別アイウィル(小学生キャプテンコース・中学受験「四谷コース」・高校受験部(中学部))] 志學舎 みなみ野教室 教室長 阿部成明
〒192-0916 東京都八王子市みなみ野1-7フレスポ八王子みなみ野2F instagram → https://www.instagram.com/sgs_minamino/ [公式]志學舎Youtubeチャンネルもよろしく! |
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