コラム
志學舎保護者会㉓~教育誌から~
家庭で、子供たちと上手く接することがむずかしいと感じている親、とくにお父さん方へ。
いいヒントになるかと思います。
企業やスポーツと違って、普通家庭には「利益をあげる」とか「勝つ」といったような明確な目的がありません。企業であれば、上司が部下に何かを伝える時は、これは会社の利益に結びつくことだからやってほしいといえますし、スポーツのチームであれば、勝つためにこれをしてほしいといえるでしょう。ところが家庭においてはそう単純にはいきません。
欧米を始め、多くの国民が宗教をある程度信奉している国では、親は宗教を基準に子どもに話をすることができます。「これをして」といって、子どもから「何で」といわれれば、極端な話「聖書に書いてあるからよ」と答えられるわけです。それが、多くの日本の家庭では、説明の論拠を宗教に求めることはまずできません。
ある意味では、戦時中は楽だったかもしれません。「日本国のために」といえましたから。高度経済成長期も同じです。「より豊かな生活のために」といえましたから。90年代半ばぐらいまでは、高度経済成長期の名残で、同じ拠り所を使えたのではないでしょうか。
それがここにきて、何を基準にして子どもに話をしたら良いのか、アドバイスしたら良いのか、親がわからなくなってしまっているようです。昔の基準を持ち出して、「勉強しないとだめだぞ」などと子どもにいうと、「勉強していい大学に入っても、それで何なの。その後いい会社に入ったってリストラされて終わりじゃない」などと反論されます。すると親は子どもをコントロールできないいら立ちからつい声を荒げてしまうのです。……それで、「子どもが最近話をしてくれないんですよ」というセリフが生まれるにいたるわけです。
では、どうしたらよいのでしょうか。
(中略)
とにかくひたすら娘さんをアクノレッジ(存在承認)したそうです。しかも相手が受け取りにくい、Youのアクノレッジメントではなくて、Iのアクノレッジメントで。「お前がお母さんの手伝いしてるのを見てるとちょっとうれしいな」「部活一生懸命やってるよな、お父さんなんかお前くらいの頃はさぼってばっかりだったからな。一つのことに熱中しているのはなんかすがすがしいな」等々。
子どもの行為をよく観察して、それについて自分がどう思ったかを相手に伝えればいいのです。相手にどう思ってもらおうとか、見返りを期待せずに、ただ主観を伝えます。そんなことは他人からほとんどいわれたことはありませんから。子どもだって。
もし子どもに話をしてもらいたければ、とにかくアクノレッジメント(存在承認)をたくさんすることだと思います。いいんです。叱ることなんて考えなくて。とにかくほめてほめてほめ続け、アクノレッジメントのシャワーを浴びせるのです。「大事にしてる」「かけがえのない存在だ」「それでいいんだ」……もう、ばんばんいってください。「がんばれ」なんかはいわなくていいのです。「いつもご苦労様、がんばってるな」、それだけでいいんです。
だって本当にがんばっているはずですから。子どもだってけっこうぎりぎりのところでつらい思いをしてやってるんですから。もういいと思いませんか、何も付け加えなくても。そしてこの場に帰ってくればとりあえず安心できる、自分が自分でいられる、家をそんな空間にしてあげることが先決ではないでしょうか。
100のアクノレッジメント(存在承認)があれば一のメッセージが伝わるかもしれません。いちばん大事なメッセージが。それで十分だと思いませんか。
志學舎の先生達、生徒には、
自分の価値観の押しつけじゃなく、
I(アイ)メッセージでアクノレッジメント(存在承認)してあげることが大切だよ。
これ読んで、よく分かった。