高校部(東進)
[東進]教科書に答えがない!?
こんにちは、東進タイムズ編集部です。恒例の入試問題にチャレンジをお届けします。
さて今回は、京都大学2次試験のクセあり〜な入試問題をご紹介します!
出題科目は【日本史】ですが、なんと答えは教科書に載っていないんです。教科書知識だけでは対応できないクセ問なので、柔軟に思考をひねらせてなんとか正解を導いてみよう。
【問題】
(前略)木簡は古代史研究をよみがえらせた出土文字資料であるが、9世紀以降のものは数が少ない。これは単に、平安宮が大規模に発掘調査されてこなかったため、まだ発見されていないだけのことかもしれない。(後略)
問:下線部について、その主な理由を述べよ。
【解答①】
平安宮跡の上には多くの建物が並んでいるために、大規模に発掘調査することは難しかったから。
【解答②】
近代以降も市街地が存続し、本格的な再開発が行われなかったから。
【分析・考察】
この問題の解答欄は1行のみとなっていました。論述問題としてはかなり軽めの出題ですが、教科書のどこを探しても適切な答えは見つかりません!そのため、工夫して思考するべき問題だったといえますね。
木簡といえば、藤原宮や平城宮(ともに奈良県)から出土したものが有名です。そう考えると、この問題は“藤原宮や平城宮と違って、平安宮が大規模に発掘調査されてこなかったのはなぜか?”と読み替えることができます!
教科書や図録などで、のどかな田園風景の中に佇む藤原宮跡や平城宮跡の写真を見たことはありませんか? 藤原宮も平城宮も、都が違う場所に遷るとすぐに荒廃し、そのまま田や畑になって近代に至っていました。つまり、「遺跡の上にあまり多くの建物がなかったため、大規模に発掘調査を行うことが比較的容易だった」考えられるのです!
そう考えると、京都の歴史的事情が見えてきませんか? 平安宮そのものは鎌倉時代に焼失してしまったのですが、その跡地はやがて市街地化しました。藤原宮や平城宮と違って、京都はその後も都であり続けたので、荒廃したまま放置されることがなかったわけです。つまり、“平安宮跡の上には多くの建物が並んでいるために、大規模に発掘調査することは難しかった”と推測することができますよね!
おそらく出題者は“教科書の知識や理解をもとにして、柔軟な姿勢で自分なりに答えをひねり出してほしい”と考えたのではないでしょうか?
そして、問題のリード文を次のように続けています。
「しかし、あえて古代史に理由を求めるならば、8世紀よりも紙の使用が広まったこと、律令租税制度が衰退して貢納物の荷札が減少したこと、などを仮説として立てることができよう。」
受験生にお手本を示すように、歴史的思考力を働かせて仮説を立てていますね。大学での学問や研究では、こういった教科書知識以外の考え方や想像力が重要性を増してくるといえるでしょう!入試問題が、既に大学における勉強のスタートとなっているわけですね。
〈解答②の考え方〉
教科書に出てくる木簡では、長屋王邸跡(平城宮のすぐそば)から出土したものも有名です。この遺跡の発掘調査は、大型百貨店の建設に先立って行われました。古都における再開発は、大規模な発掘調査を行うための絶好のチャンスでもあるわけです。そして平安宮跡については、残念ながらそうした再開発の機会には恵まれなかったのではないかということも推論できます!
志學舎ではSNSで情報発信中!ブックマーク登録、チャンネル登録をお願いします!
人気ブログランキング
↑受験カテゴリー1位!応援クリックよろしく!
にほんブログ村
↑こちらも頑張ってます!応援クリックよろしく!