高校部(東進)
ドカベンは元々「〇〇マンガ」だった???
こんにちは。
東進多摩センター駅前校校舎長兼志學舎多摩センター教室副教室長の福岡広徳です。
1月10日、数多くの野球漫画を世に送り出した漫画家の水島新司さんが、肺炎のため82歳で亡くなりました。代表作は挙げればキリがないですが、やはり1972年に『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)で連載が開始され『ドカベン』だと思います。
“主人公”4番・キャッチャーの山田太郎や“悪球打ち”の1番・サード岩鬼正美、“秘打男”の2番・セカンド殿馬一人、そして“小さな巨人”右サブマリンのエース里中智ら“明訓四天王”の活躍を軸に、常勝・明訓高校(神奈川)の熱い戦いを描いた高校野球漫画である。
全国のライバルたちも個性豊かで魅力的なキャラクター揃い。数々の激闘や死闘が繰り広げられ、読者を熱狂させてきた。
私は高校編は世代ではないのですが、プロ野球編を毎週楽しみにしていました。
ドカベンは“連載開始当初は柔道マンガだった”。
というのは実は知らない人もいるのではないかと思います。
物語は山田太郎が中学2年生のときに鷹丘中学に転校してくるところから始まるのですが、野球部ではなくまったく未経験の柔道部に入部してしまいます。
この柔道編は1年以上続き、コミックス版の第7巻目でようやく野球漫画へと方向転換することとなります。なぜこうなったのかというと、当時、水島新司先生はライバル誌だった『週刊少年サンデー』(小学館)に『男どアホウ甲子園』を連載していたため、同じ野球漫画被りを避けたからとされています。
しかし、山田太郎が野球をやっていたらしいというエピソードは随所で語られており(野球部主将でエースの長島徹がその才能を見抜き、勝負を挑むなどして野球部への誘いをかけていた)、野球をやることへの伏線は最初から張られていました。ちなみに“なぜ野球から遠ざかったのか”の理由ものちに明らかにされています。
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