コラム
富嶽百景 完結編
こんにちは。志學舎本部の岩田です。
せっかく太宰治の「富嶽百景」を取り上げたので、舞台となった山梨県の三つ峠(みつとうげ)山について少し。
まず、グーグルマップで位置を調べると。
山梨県を青枠で表しました。三つ峠山は、八王子からだと、中央高速で大月から富士吉田線で河口湖方面へ行ったところにあります。甲府盆地と富士山の間にある御坂山地(みさかさんち)あるいは御坂山塊(みさかさんかい)と呼ばれる山々の中の一つ。富士山のすぐ北側に位置しています。
地図だけだと何なので。。。
先日、三つ峠山に登ってきました。写真は山頂から見た富士山です。「富嶽百景」の作中では、太宰は井伏鱒二とともに三つ峠に登ったものの、濃い霧が湧き出て眺望がきかなかった、と書いていますので、太宰は三つ峠からはこのような富士山を見られなかったようです。
三つ峠山荘前から撮った躑躅(つつじ)の花と遠くの富士山がとてもきれいでした。
さらに下山後、太宰が実際に3か月ほど過ごしたという御坂峠の天下茶屋にも行ってきました。
茶屋の前から見た富士山は雄大そのもの。手前の河口湖もよく見えます。
太宰も天下茶屋の2階からこの景色を眺めたはず。
ただ、太宰はここから眺める富士山について作中のはじめの方でこのように記述しています。
「ここから見た富士は、むかしから富士三景の一つにかぞえられているのだそうであるが、私は、あまり好かなかった。好かないばかりか、軽蔑さえした。」
何とも辛辣だなあ、と思いますが、その続きを読むと、
「あまりに、おあつらえむきの富士である。まんなかに富士があって、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひっそりうずくまって湖を抱きかかえるようにしている。私は、ひとめ見て、狼狽(ろうばい)し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ絵だ。芝居の書割(かきわり)だ。どうにも注文どおりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった。」
凡人の私はこの富士山を目の当たりにして素直に感動しきりだったのですが、さすが、文学者ともなるとこれほどまでに繊細。
太宰にとっての富士山の意味合いがこの後どのように変わっていくのか。続きはぜひ原作を。
ちなみに、天下茶屋の2階は現在、太宰治文学記念室となっています。
この日は、最後に、天下茶屋名物で山梨の郷土料理「ほうとう鍋」をいただきました。縁側席で雄大な富士山を眺めながら、時折吹き抜ける爽やかな風を感じながら食べる熱々のほうとう鍋は最高に美味でした。
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