コラム
志學舎50年のあゆみ<6>
志學舎は昨年(2022年)創立50周年を迎えました。
今では、卒塾生のお子様方も多く通う、多摩地区で最も長く、歴史のある塾のひとつになっています。
今年(2023年)、社史「志學舎のあゆみ 50年」を刊行しましたので、これまでの50年のあゆみを、少しずつ紹介していきますね。ご興味のある方は、ぜひご一読ください。
よろしくお願いします。
今回は、前回に引き続き、
昭和60年度(1985年)頃の、画期的な志學舎の試みを振り返ります。
今回はこのチラシ広告の文面から。
注目してほしいのは、
上から2番目、「●適確な進路指導」の説明。
「独自の合否判定プログラム」。
「“独自の”」❕
これがすごかった!
当時1982年から採用された都立高校入試制度の複雑さには、中学生の親だけでなく、学校や塾の先生までも頭を痛めていました。
つまり、「グループ選抜制度」。グループ合同選抜制度 – Wikipedia
カンタンに言うと、
この制度で、
(これでもホントウにカンタンに言っています。)
よう分からん。
分からなくて当然です。
ほとんどの塾の先生も、最初は分かりませんでした。
そこで、志學舎が独自に開発したのが、コレなんです!
横軸に「換算内申」の座標、縦軸に入試当日の5教科予想得点の座標を配したグラフを、学区内のグループにある全普通科高校のそれぞれの合否ラインを明示した物に変え、1番目(左上)にはグループ合格基準を、そして次には八王子東、南多摩、日野台…と、当時の難易度順に配した合否判定資料です。これに、生徒個人の進学相談時の学力と換算内申が反映された★印が示されます。
この合否判定システム開発と実行に関わる思い出を少し。
合否判定は進学塾の命です。こういう歴史・背景が現在の進学相談の礎(いしづえ)になっているのかも知れません。大切な歴史ですね。(ちなみに、現在の都立入試合否判定システムは、最近中学受験四谷コースオンライン親子ミーティング等でよく見かける、館野先生が作ったものです。)
まだまだ続くよ。
お楽しみに。
志學舎は
「生徒・保護者、塾にたずさわる全ての人が笑顔になれる塾を目指す」
を理念として、日々取り組んでいます。